介護施設での利用者からの暴力への対応と労災について
「認知症の利用者から顔をグーで殴られた」
「食事介助中に唾をかけられた」
「手鏡を投げつけられて額から血が出た」
介護職なら誰しも、利用者からこのような暴力・暴言を受けた経験があると思います。
しかし、相手は「お客様」であり、「弱者」になるので、注意や叱責といった通常の対応を取ることが難しいケースが多いでしょう。
また、介護高齢者からの暴力は、業務中の負傷となるので、労災が適用されますが、介護事業所によっては労働法を守らず、介護職が補償を受けられないケースもあります。
ここでは、利用者からの暴力や暴言被害の実例や、実際に被害に遭った場合の対処についてご紹介します。
利用者からの暴力・暴言の被害を受けた介護職員の事例
暴力傾向が強い76歳男性に顔をグーで殴られた
介護職への被害が最も大きくなるのは、認知症の男性利用者からの暴力です。
重度の認知症を発症していても、筋肉や骨が健康だと、攻撃の強さは健常者と変わりません。
また、近年の高齢者は栄養状態が良く、70歳でも筋肉モリモリの人も珍しくありません。
それでは、実際に起きた事例を紹介します。
Aさんは、介護老人保健施設(老健)に入居する76歳の男性で、小さな脳梗塞などが原因となって脳血管性認知症を発症し、要介護度は3です。
要介護3ですが、認知症による問題行動以外は健康で、歩行や排泄は自立しています。
Aさんは大卒で元公務員ということもあり、認知症の症状がそれほど強くなかった頃から、介護職を下に見るような発言が目立っていました。
いわゆる「性格がきつい人」というくくりになります。
認知症が進むにつれて暴力的傾向が見られ、しばしば怒鳴るようになり、その際、腕を大きく振り上げて「殴るぞ」というポーズを取るようになりました。
そして、とうとう20代の女性介護職が、Aさんに顔面をグーで殴られてしまいました。
女性介護職はその場にうずくまり、Aさんは他の介護職が取り押さえました。
暴力被害に遭った女性は、すぐに病院に行き、レントゲン検査の結果、幸いにも骨折などはありませんでしたが、「普通に屈強な男に殴られたような痛みでした。手加減とかそういうものは一切感じられず、恐かったです」と話しています。
82歳の女性は食事中に「けけけ」と笑いながら唾を吐く
有料老人ホームに入居する82歳の女性Bさんはおとなしい性格の人でした。
ところが入居3年目のある日、言動がおかしくなったことから家族が精神科病院に連れて行ったところ、”前頭側頭型認知症”と診断されました。
この型の認知症の特徴は”人格の変化”です。
Bさんには暴力的な行動はないのですが、突如「けけけ」と笑いだすなど、介護職の間で「気持ちが悪い」「人が変わった」と言われるようになりました。
特に食事介助をしている時に、本人に食欲減退が見られないにも関わらず、食べることに非協力的になり「けけけ」と介護職をあざ笑います。
そして、唾を吐くようになりました。
食器が乗ったトレイや床だけでなく、食事介助している介護職員にも唾を吐きかけます。
家族に事情を報告しても「信じられない」と言うばかりで、かえって「老人ホーム側の対応に問題はありませんか?」と言われてしまいました。
認知症の女性は介護職員が居室に入室すると、必ずモノを投げつける
モノを投げる行為というのは、体力が落ちても可能なので制御は困難です。
グループホームに住む70代の認知症の女性Cさんは、介護職が入室すると必ずモノを投げつけます。
手鏡が当たった介護職が額から流血したこともあります。
介護職が「腹立たしい」と感じてしまうのは、Cさんが自室で1人でいる時は平穏で、暴れることは一切ないのです。
部屋の中の物も、整然と並んでいて、むしろキレイ好きな性格です。
また、Cさんがモノを放り投げるのは介護職に対してだけで、家族やグループホームの施設長には従順な態度を示します。
なので、介護職からは「認知症のせいではなく、わざとやっているじゃないか」と思われています。
施設長は、Cさんの担当医から「Cさんはわざとやっているわけではない。病気がそうさせている」という説明を受けているだけに、介護職の気持ちをなだめたり、理解を促したりしていますが、職員の不信感は増すばかりです。
暴力を受けた際の職員と施設の対応はどのようにすればいいのか!?
実際に利用者による暴力が発生した時に、現場で働く介護職員や施設側はどのように対応したら良いのでしょうか。
具体的な解決事例をご紹介させていただくと、グーで介護職を殴ったAさんが入居する介護老人保健施設(老健)では、行政に相談し、問題行動が悪化した時は身体拘束を行えるようにしました。
また、家族にも事情を説明し、身体拘束の同意書にサインしてもらいました。
ですが、実際は身体拘束は行わずに済んでいます。
身体拘束を行わずにいられる理由は、介護職が協力して「Aさんのイライラ」を早期発見するように努めているからです。
Aさんは認知症が重いので、自分がイライラしている原因を話すことはできませんが、介護職がAさんを入念に観察したところ、爆発する前兆があることに気が付きました。
その前兆とは
- 言葉のろれつが回らなくなる
- 体を揺する回数が多くなる
- 「おい!」や「お前!」など言葉が荒れる
といったものです。
このような兆しが見えてくると、介護職がAさんへの関与を増やし、いつでも取り押さえられるようにしました。
また、Aさんからグーで殴られた女性職員は、極力Aさんと接触させないようにしました。
このような対応を取れたのは、施設長が会議を頻繁に開き「認知症の勉強」を行ったからです。
この老健では「認知症の暴力に対し、暴力で対抗しない」という方針も立てました。
この方針自体は、介護職としての常識なのですが、施設長から改めて打ち出されたことで、介護職のストレスが減ったのです。
利用者からの暴力でケガしたら労災は使えるの?
労働災害とは、仕事が原因となって起きた負傷や健康悪化になるので、被害を受けた労働者は労災保険から、治療と金銭的な補償を受けることができます。
つまり、利用者からの暴力による怪我は、仕事が原因となる負傷と言えるでしょう。
重度の認知症の利用者が、病気のせいで暴力をふり、介護職が怪我を負った場合は、労災の適用になります。
労災が適用されると、負傷した介護職が病院で治療を受けても、治療費は労災保険から支払われます。
また、負傷によって介護職が働けなくなった場合も、その間の賃金の一部は労災保険から支払われます。
ただ、介護職に暴力をふるった利用者に認知症などの精神疾患がなく、意図的に悪意をもって攻撃して、職員が負傷した場合、労災の適用にならないかもしれません。
その場合は、利用者に傷害罪が適用されるからです。
労災隠しの問題について
仕事中の事故などに関しては、基本的には労災は適用されますが、介護業界は中小零細企業が多いため、しばしば”労災隠し”が問題になっています。
つまり、本来は労災適用されるケースなのに、事業所側が労災申請をしないことがあるのです。
申請しない理由は色々ありますが、労災を申請するには大量の書類が必要で、経営者や事務職は数カ月はこのことにかかりっきりになり、非常にめんどくさいんですよね。
また、労働基準監督署は「労災を発生させた事業所」をチェックしていて、労災件数が多い事業所はペナルティを課せられることもあるので、悪質な事業者は、明らかな労災であるにも関わらず、労災申請を行わず、労働者の怪我は健康保険で治療させたりします。
なので、「これは労災が適用されると思う」と感じたなら、労働基準監督署に相談しましょう。
暴力被害に遭わないための予防策
認知症による暴力が激しくなると、介護の力だけでは制御できなくなりますが、暴力を含む認知症の問題行動は、「介護の力」でかなり軽減できることも分かっています。
精神科病院の閉鎖病棟に強制入院させられている認知症高齢者は沢山いますが、「あの施設に入ってから大人しくなった」という認知症高齢者も沢山いるのです。
そのような優秀な施設で行われているのは「懇切丁寧なアセスメント」です。
24時間365日ずっと暴力的な人は稀で、利用者を観察すると、暴力・暴言の前兆が発見できます。
さらに観察を続けると、前兆の前兆も見えてきます。
前兆の段階で介護職が対応して「暴力の芽」を摘めば、利用者も介護者も平穏な日常が維持できるのです。
ですがその一方で、暴力・暴言を増長させる介護施設も存在します。
認知症高齢者に対し、正当な理由がない身体拘束や恫喝を繰り返すと、問題行動は必ず悪化します。
暴力の予防策は、施設が一体となって認知症の高齢者に対応することでしょう。